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【感想】小山田浩子『庭』(新潮社)

先日、この作者のデビュー作『工場』芥川賞受賞作『穴』(いずれも新潮社)を立て続けに読み、これは幻想小説の傑作ではないかとおもった。もっとはやく読めばよかった。

 

デビュー作『工場』は、固有名詞で語られることのない「工場」という、巨大な組織における労働を描いた作品で、一読、カフカアルバニア人作家イスマイル・カダレの作風を髣髴させるが、それだけではない。

過去⇒現在⇒未来という物語の時系列を意図的にシャッフルする、マジカルな時間操作の方法は、たとえばラテンアメリカの文学によくみられるものだし、我が邦の夏目漱石や内田百閒の<夢小説>の系譜にも通じる、あいまいでありながら、たしかな現実感をともなった文体も特徴的。 

工場

工場

 

芥川賞を受賞した『穴』では、前作にあったわけのわからない不気味さが後退したぶん、小説として格段に親切な設計になっていて、作者の力量がはっきりとみえるようになった。

この作品集には表題作のほか、連作「いたちなく」「雪の宿」の三篇を収録しており、いずれの作品でも、定住し、子孫をなすことで、必然的にある種の<流れ>のなかに組み込まれてゆく、その変化につきまとう不安とも嫌悪とも諦念ともつかない感覚を、見事にすくいあげている。

穴

 

以上の二冊に完全にやられてしまったので、三月に単行本化されたばかりの本書『庭』(新潮社)もすぐ読んだ。

 

  結論から言うと、おもしろかった。小山田浩子。やはり稀有な才能である。

 

本書に収められた作品は、どれも短い。全15篇。

なかには数頁しかない掌篇もあるが、飲み口はきわめて濃厚。動物や草木、ちょっとした風景の描写が丁寧だから、読者はするりとその世界観に入っていける。

が、読み終えてみると、怖いのかキモいのかなんなのかよくわからない気持ちになっている。モヒートだとおもって飲んだらどぶろくだった、みたいな奇怪な感覚をおぼえる。小説好きとしては、こういう<わからなさ>を与えてくれる作品は、それだけで得難い。

 

特に気に入った作品は以下の三篇。

 

「延長」

恋人の家の納屋掃除を手伝うことになった男。恋人と母親は指示を飛ばすばかりで納屋に入ろうとせず、父親はリビングでテレビを観るばかり。どこか不穏な気配だけが高まるなか、掃除を終え、風呂に入った男が遭遇する、ひとつの怪異。単行本でわずか四頁の、もっとも短い掌篇。

 

「叔母を訪ねる」

不意打ちのような母の電話。若い頃出奔し、音信不通となった母の妹が見つかったのだとか。有無を言わさぬ母からの指示で、会ったこともない叔母の家を訪ねることになった男の話。「延長」と同じくらいの長さの小品で、これまた気持ちわるい読後感。

 

「名犬」

夫の帰省に付き合わされる妻。夫は親孝行と称して日帰り温泉行を提案するも、両親はそれをにべもなく断る。しかたなく夫婦で向かった山奥の温泉施設で、妻はふたりの老婆の会話に耳を傾ける。聞き取り難い方言で彼女たちが語るのは、犬を孕ますという猿の話で……。最後のセンテンスで、おもわず本を取り落としそうになった。2018年のベスト短篇かもしれない。

 

いろいろな角度から読める短篇集だとおもうが、個人的には動物の描き方、その役割に注目した。

 

小山田作品に出てくる動物たちは、いずれも人間の生活圏内に棲まうモノたちであり、わたしたちと彼らのあいだには、薄皮一枚の境界があるばかり。主人公たちは動物たちに対して、つねに受動的な立場にある。

近しい存在、見知った存在である彼ら動物たちが、わたしたちの領域に闖入してきたとき、フロイト言うところの<不気味なもの>の顔が不意に立ち上がってくる。

小山田浩子の主人公たちは、自覚的かそうであるかにかかわらず、家庭に対して、職場に対して、もっと言えば彼らをとりまく社会制度に対して鬱屈を抱えており、それをきわめて危ういかたちで抑圧して日々を経ている。

そんな彼らの無意識下に封印された情念が、親しみと不気味さを渾然一体とした<わたしのなかの他者>として表徴されるのだ。

小山田浩子はデビュー作から一貫して動物(ときに植物)を重要な小説内要素として描いているが、本作品集を読むに、その技巧はもはや練達の域に達していると言えるだろう。

 

今後、彼女がどんな小説を書いていくのか、それはまだわからないが、そろそろ長いものをひとつ書いてほしいような気もする。なんにせよ、国内における幻想短篇集では、本書が2018年のベストになるのではなかろうか。 

庭

 

 

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